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ハイスクール・パニック

リチャード・バックマン 著

キングが絶版を決断。
死人の上で行われたホームルームとは?

二年前のことだ。そのころから、ぼくのあたまはおかしくなり始めた
―ぼくの名前はチャーリー・デッカー。プレイサーヴィル・ハイスクールの最上級生だ。ぼくは、代数のアンダーウッド先生と、歴史のヴァンス先生を父のピストルで射殺した。あっという間のできごとだった。しかし、だれもいまおこっていることを信じられない。警官隊がやってきてぼくたちを遠巻きに包囲している。
ぼくとクラスメートたちは日常世界から切り離された世界に漂いだした。
まるで白日夢のような、しかし緊迫した時間がながれていく。
五月のある晴れた一日、教室で一体なにがおこったのか?
モダンホラーの巨匠スティーヴン・キングが高校生の不安定な心の世界を、同世代の視点からあざやかに描いた、異色の青春サスペンス小説。

◇感想と解説

この作品はキングが、主人公のチャーリー・デッカーと同じ高校生のころ書き始められたらしい。それから日の目を見ることなく眠っていて、1977年にリチャード・バックマン名義で出版された。
※リチャード・バックマンはキングの別名。

キングの若い頃に書かれた作品を読むと、死に対する淡々とした冷酷さを感じてしまう。『ハイスクール・パニック』 にも、そういった冷たい印象がある。
キング作品をより多く読めば読むほど、この状態はとても不気味に思える。私のよく知るキングは、人の内面をこれでもかと執拗に書き続ける作家。稀代の語り部である。だからこそ彼の作品の登場人物は、物語の中で生き生きと輝きを放ち、手で触れられそうな人格があり、奥行きがあり、そしてみんなに愛され、憎まれる。つまりリアリティがあるのだ。

若い頃のキングの作品には、これが驚くほど欠落している。

まるでダンボールから切り取ったような、物語の舞台の上でしか存在しないような薄っぺらい登場人物たち。

だけども、なんだろうか、この魅力は。

設定の甘い薄っぺらな小説とはわけが違う。まるでバーチャルな世界なのに、心にドスンと来るのだ。
冷酷さは確かに若さゆえかもしれない。だけど、キングの若かりしころの作品はそれだけでは済まされない何かがある。

この妙な感覚は、キングが学生のころに書いた事実上の処女長編 『死のロングウォーク』 でも感じられる。

この若きキングの二つの作品は、死がすぐそばにある設定でありながら、まるでリアリティがない部分でよく似ている。

『ハイスクール・パニック』 では、目の前で教師が殺され、銃を持ったクラスメイトが教室に入ってきても、生徒たちは逃げ出さずに、まるで役割を与えられた人形のように自分の席に座っている。はい、これで、物語の条件設定が完了でーす、ってなくらいだ。

死のロングウォーク』 でも、整備された極限状態の中で少年たちが黙々と歩くという状況が繰り広げられ、友達が撃ち殺されても、彼らの世界は侵食されない。「死」 は 「極限」 を作り出すための演出にすぎないのだ。

若きキングが意図してこの冷酷で狂気に満ちた世界を作り出したのかどうかはわからないけど…。

本書は、アメリカで問題になっている学校での発砲事件を考慮して、キング自身の判断により、世界中で絶版となっている。だからそのうちこの本は読めなくなってしまうだろう。先生を冷静に撃ち殺すチャーリー・デッカーと同世代の若者がこの本を読んでしまうことを考えたらそれもしかたないかもと思う。

だが、ひとつだけ、この本は決してむやみやたらに人を殺すような、ただのパニック小説ではない、ということをここに明記しておきたい。

▼ネタバレを開く

『死のロングウォーク』 の項でも書いたが、これは、キングという神の実験場なのである。
ある状況下に登場人物たちを置いて、どうなるのかを淡々と描く実験。

『ハイスクール・パニック』 では、まず大人が排除される。
この物語の中では、教師たち大人は、とことん無能なものとして描かれている。
二人の教師は、殺害という衝撃的な方法で排除されるが、恐ろしいことに、それはこの物語の重要なポイントではない。
学校で殺人がおきてギャーとみんなが逃げ回るような話ではないのだ。
だから、『ハイスクール・パニック』 という邦題は間違っていると思う。
原題は 『Rage』 というが、これは 「激怒」 という意味だ。
それは主人公のチャーリー・デッカーが教師に対して抱く感情であり、生徒同士で話し合いをして個々に生まれる感情である。

だからといって、この物語は、体制に怒り反発する学生運動の物語でもなければ、生徒同士の喧嘩の話でもない。
じゃあ、『ハイスクール・パニック』 でキングが描いたのはなんだったのか??

それは、特殊な状況下での自己の解放と崩壊、ではないだろうか。

外界から隔離された教室で、生徒たちはまるで自己啓発セミナーのような話し合いを繰り広げ、そして自らを解放、もしくは崩壊させていく。
彼らは自分たちで本物のホームルームをしていると感じており、人生の中で深い大事なことを学んだと誇らしげに思っている。
そして外野でワイワイ大騒ぎをしている大人たちは何もわかってないと見下しているのだ。

ここで問題なのは、そんな濃厚で奥深い時間を過ごしている (と自分たちでは思っている) みんなの足元には、物語のしょっぱなで殺害されたアンダーウッド先生の死体がころがっていることだ。
彼女の死体がそこにあることが、生徒たちの熱い語り合いを薄っぺらくし、彼らを現実離れした人形 ―冷淡で不気味なもの― に変えている。

先生が目の前で殺されたのをスルーして、君たちは何を言ってるのか??

真の狂気を見せられたような何ともいえない感じが襲ってくる。
感情を抜きに淡々と事実だけを報告している猟奇殺人事件の詳細記事を読んでいるような、そういう冷ややかな恐怖感がここにはある。

◇情報

1977.USA/Rage

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複数の作品形態がある場合は、存在するものから ハードカバー/文庫/Kindle/DVD/Blu-ray/4K/Prime Video(字幕/吹替) の順番でリンクします。

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