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茨城筑西市

茨城の実家の近所には、日本の各所の例にもれず、小さい神社がたくさんある。
お正月に母と一緒にそれらの小さい神社をまわってみて面白かったのでまとめてみた。

それらの小さい神社は、ずーーーっと昔から何かしらがあった場所で、だいたいが江戸時代か明治時代くらいに現在の風貌になったところが多いみたいだった。
そしてそこから時が止まっている。
人気のない神社にいくと、江戸時代とかにタイムトリップしたような気持になって妄想が膨らんで萌える。


こちらはうちの氏神様。
井上稲荷神社。正保元年(1645)に京都の伏見稲荷神社より御神体を迎え入れたそうな。
本殿は突風で壊れたので平成の世もの。

井上稲荷神社の扁額には、「昭和二年十一月 自筆彫 小貫 要助」とあり、この人は私のひいじいさんのいとこらしい。
力強い文字だ。
私は字が汚い。。おじいちゃんごめんなさい。

井上稲荷神社の境内には愛宕神社(あたごじんじゃ)と八坂神社が同居している。
写真は愛宕神社の中にひしめく小さな大黒様。
愛宕神社は火の用心の神様だが、大国主命とも関係があり、大国主とイコールとされている大黒天が祀られているのだ。
といっても、この辺では大黒様信仰があるのか、そこらじゅうで小さい大黒様を見かける。
愛宕神社は安永元年(1772)に火難除けのため、八坂神社は同年に疫病消除のために迎え入れたそうな。
八坂神社の中には何があるのか見えなかった。


赤城大明神。
下妻市横根の田んぼの中にある。解説などが全くないので由来はわからない。


鹿島神社。
下妻の田んぼの中の神社。本殿の横に「馬頭尊」と彫ってある石碑があったので何だろうとみていたら、近所のご夫婦が「それはあっちの川から持って来たんだよ。馬の神様。」と教えてくれた。
川ってどの川?と思って地図で調べてみたらどうやら小貝川らしい。

近所の伝承を探っていったら面白そうだなぁ。。


船玉古墳と船玉神社と七鬼神社。
古墳があるというので行ってみた。ちょっと離れたところに鳥居があった。ちょうど近所のおじさんが通りがかったので、これは船玉神社の鳥居かと聞いたらいろいろ教えてくれた。
この鳥居の先に船玉古墳と船玉神社があるのだが、古墳の上にあった神社の本殿はかの震災で壊れてしまったそうだ。
「上に行ってもなんにもねぇよ」とおじさんは言った。
近所の人たちでお金を出しあって本殿を再建しようとしたら、お役所の人に「ここは県の土地だから勝手に建ててはいけない」と言われて何もできずにいるそうな。。
しかたないので手前の土地に仮設神社を作って、近所の人たちはそちらにお参りしている。
再建してあげて。

こちらが移動してきた神社。もともとは古墳の上にあったそうだ。

中にかわいい絵があったので撮らせてもらった。
あれ?七鬼神社か。つまりこちらは船玉神社の横にあった小さな神社「七鬼神社」だった。
「船玉神社」は、この横に仮設ステージみたいのがあったんだけど、そっちだったみたい。

船玉古墳の石棺入口。中には立派な前室や玄室があるそうだが、危険なために入れなかった。
この古墳が作られたのは7世紀中ごろと推定されていて、誰のお墓かはわからないらしい。
7世紀といえば飛鳥時代である。ちょうど聖徳太子のころかなぁ。。
おじさんが言うには、ここらへんで行方不明になった皇族がいたとのことだ。
この話は調べても出てこないので、地元の人が伝承している噂話のひとつなのかもしれない。
実はこういう話が一番真実に近かったりするんだよね。

船玉古墳の横にはお地蔵さんと観音さまが並んでいた。なかなか味のある像。
字かかすれて読めなかったが、江戸時代に奉納されたものらしい。
神仏習合の風景を見るとほっとするな。

一番はじっこにあるのは、石棒かな……?


鹿島神社。
先に訪れたとこよりちょっと大きめ。
もともとはどこか違うところにあったのだが、元和3年(1617)に洪水で倒壊したため、ここに来たそうな。

武甕槌神(タケミカヅチ)をお祀りしている。
タケミカヅチは、神が神の首を切り落としたときに飛び散った血から生まれた三神の一柱。この神の登場は、古事記で最もサイケデリックなシーンのひとつである。

ここの鹿島神社の横には、神様のアパートのような小さな祠が並んでいた。
それぞれに看板がついていて、稲荷神社、八坂神社、諏訪神社、米塚、庚申塚、疱瘡神、薬師十二神、大日不動富士浅間堂、十一面観音菩薩、とそれぞれ書いてあった。

ん?諏訪神社?

諏訪といえばタケミナカタノカミである。タケミナカタノカミは大国主の息子で、国譲りの際に鹿島神社のタケミカヅチと相撲をとって負けた神様である。ざっくり言うと宿敵。この神社には天津神と国津神が同居しているのだ。

それだけじゃなくて、庚申塚は道教のもんだし、薬師十二神や十一面観音菩薩は仏教だし、すばらしいミクスチャー空間。


寵神社と大杉神社。

こちらが寵神社。石碑などを見ると「竈」という字に見えたが、地図で調べたら「寵神社」が正解のようだ。
龍神である。すだれがずれていてご神体の鏡が見えていた。
別の場所の寵神社は鹿島神宮の水を守っていたとの記事があったが、ここと同じ神様なのかは不明。

寵神社の隣には大杉神社。
大国主系なのか、なるほど。
寵神社が鹿島神宮と関係があるのなら、タケミカヅチとオオクニヌシで、仲がいいとは言えない間柄で同居している

ここにもお地蔵さま。神仏習合。
船玉古墳にあったものと似ている。
文化六年(1809)と書いてある。

お地蔵さんの下には小さな大黒様が。大黒様どこにでもいるな、と思っていたけど、ちゃんと大国主と関係がある場所にいるのか。
おもしろい。


うちの庭の片隅にある石祠。
いつからあるんだろうな。何か彫ってあるか見ておけばよかった。

2016.01.6
※記事の内容は私が独自に調べてまとめた内容なので間違いもあるかもです。そしたらごめん。
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