すべては脳の中に
先日、古本屋にふらっと入ったら茂木健一郎氏の『脳と仮想』という本が目に飛び込んできた。
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前から茂木先生の本を読みたいと思っていたものの他の本屋さんではよいのが見つからずにどれを読もうか悩んでいたところだったのだ。『脳と仮想』を手にとる。パラパラとめくって、この本は私に読まれたがっている、と確信し、購入した。
私が古本屋に入るときは必ずと言っていいほどこういう出会いがある。
いつも古本屋に入り浸っているわけではないのできっと本に呼ばれて引き寄せられるんだな。
きっとそうに違いない。
私は面白い本を手に入れた! という絶対的な自信をもって『脳と仮想』を持ち帰った。
そして読み始めた。そしたら、その本は、体が震えるほど面白い本だった。この論考に出会えたことに感動して涙すらこぼれた。
『脳と仮想』には、日ごろ私が漠然と感じていて、でも言葉にできずにいる『生きる<感覚>』について書いてある。
私たちが世界として把握しているのは、全て脳が作り出した仮想だ。
私がここにこうして存在しているとういう感じも、私の脳がそうやって思っているからだ。
もしかしたら、私もマトリックスみたいに水槽の中の脳かもしれないけど、そんなのはわからない。
私にとっては、これが現実なのだ。
そういうことの例として、本の中にはたびたび、目の前に置かれたコップが出てくる。
私たちは、目の前に置かれたコップを触らなくても目で見てその感触や温度を想像することができる。
しかもそれが、自分からどれほど離れたところにあるのか、大きさはどれくらいなのか、予想することもできる。
コップは間違いなく現実かもしれないけど、脳が作り出した仮想でもあるのだ。
さらに言えば、そのコップが、地上4階にあるビルの一室にあり、そのビルは、日本という国の東京の一画にあり、日本は地球の北半球のユーラシア大陸の片隅にあって、地球は太陽系の第三惑星で、太陽から光の速さで8分ほどの距離に浮かんでいて、その太陽系は、銀河のはじっこにあり、銀河は広大な宇宙空間に浮かんでいる…
というところまで人間は想像することができる。
どうしてそんなことができるんだろう。
言われてみれば不思議でならない。
だって私なんか日本から出たこともないのに。
そして妄想するのはこれくらいにして、実際にコップに触ってみると、コップの硬さと冷たさを感じる。
触れたらそれが現実だとリアリティを持って感じるだろう。
でもそれだって脳が作り出した幻想なのだ。
コップを触るとコップの感触がする。
この感じは一人一人が経験を重ねることによって独自に身につけていて、誰かと感覚を共有することはできない。
それがクオリア。
この本には、私たちの宇宙と人生がクオリアによって成り立っていることが書かれている。
クオリアについては、前に書いたので詳しくはそっちをどうぞ。
現代、人間が世界を把握するために採用している<科学>では、このクオリアが何であるのかを明確に説明し証明することができない。
でもクオリアは確実に存在する。
それは日々生きていればだれでも感じることができる。
赤信号を見たときに見えているあの赤い色。
梅干しを食べときのすっぱい味。
音楽を聴いてギターの音を認識するとき。
私たちは色のクオリア、味のクオリア、音のクオリアを体験している。
音楽を聴く。耳から空気の振動である音が入ってきて耳の中の機能を通じて脳に伝わり音が聞こえるところまでは科学的解釈で説明することができる。
しかし、そのあと、その音を聞いた私たちがそれを心地よく思ったり、不快に思ったりする仕組みがさっぱり説明できない。
私が好きで好きでしかたない曲でも、隣にいる人にとっては我慢ならない騒音だったりする。
それがなぜ起こるのか、誰にも説明できない。
そもそも、雑音は雑音、音楽は音楽、言葉は言葉として識別している仕組みすらよくわかっていない。
科学というのは、この世界のなりたちを簡潔に説明するこはできるけど、そこに存在している一番重要な、<わたしたちの精神>を全く無視した考え方なのである。
これじゃあ、いつまでたっても肝心なところが見えてこなそうだね・・・。
興味のある人はぜひこの本、読んでみてー。
茂木先生の文章は、驚くほど美しくてわかりやすくて読みやすい。
日本語の読み物としてもとても心地よかった。